時津風部屋の暴行事件
| いままで毎日新聞サイトで例の「大相撲時津風部屋の力士暴行死事件」の記事を読んでいた。ことの経過を追って日にちを遡りながら読むのがサイトで新聞を読むときの常だ。 すると同紙9日の見出しに「力士暴行死:執拗な暴行の詳細判明 少なくとも計8回」とあるのが目に入った。 新聞は毎日読んでいるつもりだが、この記事は読んでいなかった。 17歳といったら我が家の下の息子と同じ年齢だ。 そういう、これから自分の人生をつくる少年が「少なくとも計8回にわたって兄弟子らから」暴力をふるわれ続けていたというのである。 いま、21世紀。 20世紀初めに人類は第1次世界大戦という恐ろしくも愚かな大事件を起こし、およそ2000年間にわたって積み上げてきた文明史の根底を揺るがした。 その後第2次世界大戦や太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争などなど愚行を繰り返し、いまなおアフガニスタンとイラクで、あるいはケニヤやチャドやコンゴといったアフリカの国々で銃と暴力の争いごとを続けている。 戦争とは直接関係はないけれど、この記事を読んでからぼくは、時津風部屋の暴行殺人事件については、もっと考えなければいけない出来事なのだと思うようになった。 戦争は比類なき悪行だが、時津風部屋での出来事も行われたことの理不尽さにおいて全く同じことではなかろうかと思えてきたのだ。 記事には「暴行に関与していたのは延べ20人を超えていたとみられる」ともあり、殺された斉藤俊さん(時太山)は、死ぬ以外に結果ない行為にさらされ続けた。 戦争は必ず卑怯者を輩出させる。たとえば高空から市民殺戮を繰り返す爆撃機や戦闘機のパイロットなどがそういった卑怯者の典型例だが、時津風部屋の暴行に加わった面々もまた、自分は安全なところにいて17歳の少年1人に死に至る暴力を振るう卑怯者たちだ。 いまの社会が、まるで戦争中のようにそういう卑怯者を生み出すのはどういうことかを考えていかなくてはならないなと、要するにそう思った次第なのだ。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
