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2007年7月

2007年7月25日 (水)

「大敗でも続投探る」って、何だ?

 参院選が5日後に迫り、新聞ではどこを開いても参院選がらみの記事が目にとまる。

 しかし中立性とやらの問題から選挙情勢そのものの報道はほとんどないのが実状で

わたしなんぞは隔靴掻痒の不快感に耐えきれない思いだ。あるラジオ番組で評論家の

勝谷誠彦氏が「何もいえねぇじゃねえか!」と声を荒げていたが、同感だ。ある主題に

かんし各党の意向をまんべんなく報告しようとするのが「中立」だと思っているわけでも

あるまいに、結局のところマスメディアは、おしなべて批判を抑え気味という状態になっ

ている。

 それはそうと、きょうの毎日新聞朝刊に奇妙な記事が掲載されていた。

 <「首相退陣不要」、責任論けん制狙い 政府・自民、大敗でも続投探る>という見

出しで、要は、仮に参院選で与党が敗北しても「安倍晋三首相(自民党総裁)は退陣す

る必要はない」といった声が政府や自民党内で「続出している」という。いま各世論調査

で自民党の苦戦が伝えられる。となると、同紙が書くようにこれは明らかに「与党が

半数を大きく割り込む大敗をした場合に首相の責任論が出るのをけん制する狙い」に

基づくと考えられるわけなのである。

 政府や自民党内でこうした意見が「続出」するほどに形勢が不利だと表明しているよ

うなものだが、でもさ、これ、ちょっとヘンじゃないか?

 選挙結果は国民の判断だと、政府や与党は何度となくいってきたではないか。

 であるならば仮に自民大敗が現実になったとしても、つまり安倍首相の政治方針を受

け容れるわけにはいかないという結果が出た場合にも、それが国民の判断であること

異論はないだろう。

 ところが記事にはこうあるのだ。

 <(塩崎恭久官房長官も)東京都内での街頭演説で「政権選択の選挙は次の衆院選

になる」と首相続投を強調。自民党の中川昭一政調会長も同日の記者会見で、選挙結

果と首相の進退は別問題との認識を示した>。

 これ、内閣と自民党の要にあるふたりが有権者の判断には耳をかす必要がないと述

べているにも等しく、ずいぶん国民をバカにした話だと思うぞ。

 

2007年7月17日 (火)

塩崎官房長官の会見

 新潟県中越沖地震で東京電力柏崎刈羽原発から「微量の放射能を含んだ水約1.2

トンが海に放出された」(毎日新聞)と発表された件に関する塩崎恭久官房長官の記者

会見をテレビニュースで見た。

 案の定、放射能漏れの原因は「耐震設計上想定していた以上の揺れだった」などと、

お定まりの弁解を繰り出していたが、きのうもここに書いたようにそれはダメだ、世間

に通るいいわけではないよ官房長官。

 680ガル(ガルは加速度の単位をいうそうだ)とされる観測結果が「想定外」だといわ

れても一般市民は何のことやらさっぱり分からないが、東京電力にしろ政府にしろ原発

推進支持者にしろ、棄権だという声に対して「絶対安全」といってきたのは事実なのだ。

 それが、いったん海水への放射能洩れが判明すると「想定していた以上の揺れ」など

といういいわけを始める。

 そういうのを「卑劣」というのだよ、日本語では。塩崎長官が卑劣な人格なのかどうか

は知らないしどうでもいいことだが、記者に答えた弁明だけはどうしようもなく卑劣だ。

 680ガルという聞き慣れない単位表記が「想定していた以上の揺れ」であるならば、

それは単に想定していた程度の「ガル」が少なすぎたということだろ。

 日本が地震国であるのは分かりきったことであり、しかも原発の建設地が地震多発

地帯であることも何度となく指摘されたことだった。

 塩崎長官自身が「それでも大丈夫、安全です」といってきたかどうかはもはや問題で

はなく、地震が「想定していた以上」だったと口にしたとたんに「想定していた単位は安

全だったが、それを超えた揺れに対しては危険だ」といってきたのと同じことになる。

 聞けば680ガルは「想定した揺れの約2.5倍だった」(同紙)というではないか。

 原発建設を「安全だ」といい切るならば6倍でも10倍でもいいから確実に安全な範囲

のガルを想定するのが政府の責任だろ。約2.5倍ていどで「想定していた以上」だな

んて、無責任にもほどがあるというものだ。

 おまけにその無責任ぶりを記者会見で披瀝しながらテレっと平気な顔をしているとは

ね、いやはや呆れたものだぜ。

 

2007年7月14日 (土)

「第三者委員会」への疑問

 大問題となっている「消えた年金記録」だが、きょう、初めての回復を報ずる記事が

朝刊各紙に載っていた。


 たとえば朝日新聞ウェブ版掲載記事の書き出し部分。

 <保険料を納めた記憶はあるのに証拠がない「消えた年金記録」。その回復を、総

務省の第三者委員会が13日初めて認めた。「回復第1号」の15件に夫婦そろって入

った横浜市の内装業中村正見さん(59)、美津子さん(56)は、理不尽に奪われた権

利を取り戻せたことを素直に喜んだ>。


 毎日新聞の記事も冒頭で中村さん夫婦の安堵を伝えていた。

 <「泣き寝入りしてきた人が、声を上げるきっかけになれば」。横浜市の夫婦はそう

安堵(あんど)した。年金記録確認中央第三者委員会が13日決めた証拠なしでの初

の救済認定。しかし、認められたのは36件中15件で一部に過ぎない。納付したと言

い続ける人からは「なぜダメなのか」と不満の声が上がる>。


 「消えた年金記録」の回復が認められた方々は本当によかったと思うものの、認めら

れなかった人にはより深い絶望感を与えるだけなのではないかと、ま、わたしの個人的

な印象だが、これらの報道はあらためて「第三者委員会への疑問」を感じさせるものと

なった。

 要するにきょうの朝刊の報道は、安倍首相ほか政府与党の面々がその使命を高ら

かに謳い上げた第三者委員会について「そのやり方はやっぱりヘンじゃないか?」と思

わせる結果をともなうものだったのだ。


 毎日新聞の記事にあるが、第三者委員会による「証拠なしでの初の救済認定」で認

められたのは「36件中15件で一部に過ぎない」というくだりが気にかかる。

 記事は<納付したと言い続ける人からは「なぜダメなのか」と不満の声が上がる>と

続いているが、わたしもまた「なぜだ?」と思うのだ。保険料を納めていながら時間が

経ってしまったこともあり伝票その他の証拠がない場合、第三者委員会は個別的な状

況を調べた上で判断するとするのだが、その個別状況こそが人によってすべて異なる

わけで、ひとりひとり違う事情を前に、第三者委員会はどうやって見分けるのだろうか。

 認められた件数が「36件中15件」だけという結果はあまりに偏っている。第三者委

員会は、どういう調査経過によるものなのかを明らかにするべきではないか。

2007年7月13日 (金)

イスラマバードの殺戮事件

 参院選もだいじだが新聞を読んでもっとも気になるのはパキスタンで起きた政府によ

る市民大殺戮だ。政府の指令により軍隊や警察が自国民に銃を向け殺しまくるという

1989年の第二次天安門事件と同じことが繰り返されてしまった。

 モスクにいる人々を日本のメディアは「過激派」と呼んでいるが意味がさっぱり分から

ない。

 せめてイスラム原理主義者といえば分かりやすいのにどうして、わざわざ「過激派」な

どという分かりにくい呼称を用いるのだろう。イスラム原理主義がどういう宗派かについ

てわたしはよく知らないが、単に「過激派」と呼ぶだけでは何も伝わらないことぐらいは

分かるのだ。


 海外のメディアは、たとえば
英国BBC放送は「resistance in the Red Mosque」とい

う具合に「抵抗組織」と呼んでいる。

 ロサンジェルス・タイムズ紙は「反逆者(rebel fighters)」と書き、同時にそれがかなり

複雑な組織体であることも報じている。

 ムシャラフ大統領は彼らを100人以上も殺したが、そこには本当に殺さなければなら

ない理由なり事情なりがあったのかというと、わたしは疑問をもつ。


 周知のようにムシャラフの背後には米国政府がいてパキスタン政府をいわゆる「テロ

との戦争」に駆り立てている。今回の急襲はその延長上の出来事であるのは歴然とし

ており、市民と学生を対象とした無惨な殺戮はブッシュ政権の意向によるものと考えれ

ばコトの輪郭が見えてくる。


 米国政府はイスラム原理主義を殺せば「テロとの戦争」が終熄し世界が平和になると

いう展望をもっているのだろうか。

 もっているわけがない。

 米国政府が「テロ」と呼ぶ集団が、もしも米国のような重武装の軍事行動をとれる状

況にあったらゲリラ的な爆破計画なんぞは企てないのだ。市場などに自動車爆弾を仕

掛けるよりも最新鋭の戦闘機にミサイルを積んでワシントンやらニューヨークやらを攻

撃するほうが効果的なことは自明ではないか。

 ところが現実にはそういった軍事力は米国の専有物となっている。そして米国の国益

だけを一方的に求め、その成就に執着し、邪魔する者が現れれば排除するというわけ

で、要するに「ブッシュの我が儘」を完徹させるのである。


 しかしブッシュ政権はイラクで失敗しアフガニスタンでも失敗し、いままたパキスタンで

も市民の声を無視するという失敗を冒した。

 パキスタンで100人単位、アフガンで1000人単位、イラクでは数万人の市民を殺し

まくることでブッシュ政権は、そりゃ莫大な利権も得るのだろうが、じつはさらに大きな

怨嗟に取り巻かれることにもなるのである。

 そうして再び「テロ」が横行する。

 現に、イスラマバードの急襲殺戮戦が終わった数時間後「アルカイダのナンバー2」と

されるアイマン・ザワヒリがパキスタンのイスラム教徒に、ムシャラフ政権に対する報復

攻撃を呼びかけたではないか。

 Hours later, Ayman Zawahiri, who is said to be the No. 2 leader of Al Qaeda, called on Pakistani Muslims to wage holy war against the government of President Pervez Musharraf in retaliation for the assault on the mosque.
ロサンジェルス・タイムズ紙

2007年7月10日 (火)

閣僚の事務所費問題、再び

 赤城徳彦農林水産相の事務所費問題が際限なく拡大している。

 あきれるのは登場人物のセリフが相も変わらぬ「法律がらみ」の与太話だ。法律自

体が不備きわまりないザル法なのだから、違反ではないと強調すればするほどゴマカ

シが浮き彫りになる。


 おまけに農水相自らが、説明と称してもやもやとわけの分からない弁解ばっかりして

いるわけで、これじゃあ問題が大きくなる一方なのも当然だ。

 これがありのままの現在の日本ということだ。いやはやまったくウンザリするな。

 たとえばここに「防衛」という語を充(あ)ててみる。

 自らの政治団体の事務所をめぐる経費についてゴマカシとしか受け取れない事実が

浮かび上がった。きっかけは実家で暮らす両親が、事務所には使っていませんよと公

言したことにあるという。しかし当の赤城農水相は父親も母親も記憶があいまいなのだ

というようなことをいったらしい。

 これ、ひでぇ対応だぞ。

 いかにひどい内容なのかということを赤城氏本人はわかっているのだろうか。

 もしも本気で指摘に反論したいなら、実の親の記憶なんぞを引き合いにするより領収

書を示せばずっとわかりやすいではないか。

 ところが赤城農水相は、事務所経費の領収書は決して示さず、それでいて「問題はな

い」と強弁する。ヘンだよなぁ、この応じ方。

 ただちに連想するのが松岡前農水大臣の自殺だ。法律に基づき云々、と、いってる

ことがまったく同じなのだからどうしたって思いだしてしまうよ。

 さらに昨年末の佐田玄一郎・前行革担当相の辞任騒動がある。

 要するにまたまた「政治とカネ」の問題ということで、後ろ暗いことがないのなら領収

書を示せばいいだろうにと誰もが口をそろえるように、じつは簡単な話なのである。

それがごしゃごしゃとこんがらかり、火の手がどえらい勢いで拡大するのはひとえに赤

城氏自身がいい加減な態度をあらためようとしないからだ。

 いささか話が長引いたが、で、こういうテイタラクの国の何を「防衛」するのかと考える

と、けっきょく命を張って安倍内閣を防衛するということになるのだろうか?

 まさかね。


 この件にかんし、きょうの報道で最も気持ち悪かったのが過去の領収書について問

われた赤城氏の返答。いうに事欠いて「政治資金規正法によりルール化されている。

法律に基づいて適正に処理し、公表するべきものを公表している」だとさ。

 なんだあ、これ?

 公表するべきは、赤城氏のいいぶんを証拠立てる「領収書」のほかに何があるという

のだ。

 また、政治団体・赤城徳彦後援会の会長とかいう人が自分で自分を「雲の上の存在」

といってたのも気持ち悪かった。ふつう自分ではいわないよな、こういうこと。子どもには聞かせら

れないことばだったな。

 はっきりしてきたのは、安倍内閣とその周辺が国民に向けてふりまくことどもの、すべてと

はいわないまでも、そのほとんどが「かなり質が悪い」ということだ。

 元をたどれば郵政選挙での自民圧勝ということになる。

 さて目の前の参院選。

 事務所費ゴマカシに対し選挙民はどういう評価を下すのかと興味
深いが、赤城農水

相の地元ではほとんど影響がないらしい。

 ラジオを聞いていたら、つくづくイヤになったという感じの人は投票日に海水浴へ行く

という。国会の会期延長を押し通した安倍内閣の目論みどおりということか。

2007年7月 3日 (火)

久間防衛大臣の発言から雇傭問題まで

 現職の防衛大臣が原爆投下を「しょうがないなと思っている」と述べたという。

 あきれる話だが、この件のいちばんの問題は「しょうがない」の一語にある。

 いい換えれば「しょうがない」とは何を意味するのかということで、もちろん久間章生

防衛大臣は「理由があれば原爆投下もやむを得ない」と考えていることが露呈したこと

に間違いはないが、しかし「しょうがない」のひと言だけから性急に肯定だとか否定だと

かと決めつけないほうがいい。
 

 わたし自身についていえば、わたしは、久間防衛大臣はなぜいま米軍による広島・長

崎への原爆投下を「しょうがない」などといいだすのだろうと思うばかりであった。

  
 安倍晋三総理大臣はどうかといえば、相変わらずの閣僚擁護に終始し「問題視しな

い姿勢」(毎日新聞)なのだそうだ。

 香川県丸亀市での記者会見で久間氏の発言について聞かれ「米国の考え方につい

て紹介したと承知している」と答えたというわけで、これはたしかに「問題視しない姿勢

を示した」と受け取れる。

 安倍総理は同時に「(久間氏は)惨禍の長崎について忸怩(じくじ)たるものがある、と

いう考え方も披歴された。いずれにしても核廃絶が日本の使命だ」と述べたともあり、

これまたいつもの聞くに堪えない「ふにゃふにゃ弁解」だ。

 「忸怩」を辞書で調べると、私の場合、手元にある岩波国語辞典を利用したが「深く恥

じ入るさま」をいうと書かれている。

 安倍総理の話をこれに当てはめると、安倍総理は惨禍の長崎について(久間氏は)

深く恥じ入っているとも表明しているといっていることになる。

 久間大臣も安倍総理も発言内容がピント外れも甚だしい点が共通しており、わたしな

んぞは、これが日本国の政府中枢の実際の姿だという事実にたまげてしまう。驚くべき

程度の低さ、質の悪さに茫然としてしまうのだ。


 どこがピント外れなのかというと、まず久間大臣の「しょうがない」ということばから受

け取れるのは、米軍の核兵器使用に対し「許さないとは考えていない」と明言したに等

しいということだ。

 「しょうがない」といういい方は、真にしょうがないときにこそいうべきことばであり、た

とえば急に雨が降り出したが傘はなく、ビニール傘を買うカネもないという場合などに

わたしもよく使う。「どしゃ降りだが傘がないからしょうがない、ずぶ濡れになろうじゃな

いか」というわけだ。


 しかしこんどの件は雨ではなく原爆投下だぞ、傘ではなく高熱地獄だぞ。どこが「しょ

うがない」なのかさっぱり解らないよ。日本国民は、というより広島市民、長崎市民は

「しょうがない」から原爆被災者となったということらしいが、どこかどう「しょうがない」の

だろう。

 それがきっちり説明できないのであれば、少なくとも大臣の地位にある者が軽々しく

口にしてはならないことだけは明確になる。現職大臣たる者は「しょうがない」というなら

いうで、その中身を説明しなければならないからだ。
 

 さらに、だよ。

 7月2日になって安倍総理は久間大臣を官邸に呼びつけ「誤解を与える発言は厳に

慎むように」と注意したというのだ。

 おいおい、久間大臣のバカな発言に憤りを覚えた国民は「誤解」していたというのか

い?

 ならば安倍総理は、国民が久間発言のどこをどう「誤解」したというのかについてはっ

きりさせなければいけない。が、例によって何もしないのが安倍総理の安倍総理たると

ころでね、じつにまったく舌足らずの機械的答弁に終始している。

 しかし「誤解」とはね、口先のごまかしもじつにへたくそだこの総理は。

 ともかく、防衛大臣の軽佻浮薄な認識を擁護するにあたり、よくもまぁメチャクチャな

論旨ズラしをやってくれたものだ。

 原爆投下のどこが「しょうがない」ものか。

 米国政府の暴虐無惨なやり口に「しょうがない」といい得る面はまったくない。皆無

だ。広島からバグダッドまで、米軍は一般民衆を対象に必要もない残酷な仕打ちを浴

びせ続けてきている。

 それを「しょうがない」と受け容れるには、人は生きる価値をもたないとでも考えなければとてもできない相談だ。

 久間大臣も安倍総理も、本音ではそう考えているというわけか?

 久間大臣は「発言を撤回し、お詫びする」というセリフを安倍総理に向けていったと、

2日の深夜ニュースが報じていたが、これも国民を愚弄した話だ。

 なぜなら、これでは防衛大臣の立場にある者が原爆投下を講演の題材に採り上げる

にあたり、のちに撤回し得るような認識しかなかったことになるではないか。そんなイン

チキ野郎が防衛大臣になっているのもおかしな話だが、大学で「我が国の防衛につい

て」と題された講演を行い、敗戦後62年にもなる原爆被災者の苦痛を踏みにじったあ

げく「撤回し、お詫びする」で幕引きを図る。

 これ、国民を愚弄しているとする以外のなにものでもない破廉恥行為だよ。

 始めに書いたとおり、問題は「久間防衛大臣はなぜいま原爆投下をしょうがないなど

といいだすのだろう」というところにある。

 逆にいえば、久間大臣はそういう発言が物議を醸すことを知らないわけがないのであ

る。もしも本当にそうと知らないのだったら、見通しができないということになりそれだけ

で大臣失格だ。

 久間大臣は物議を醸すと承知している重要発言をまきちらし、ただちに案の定の大

騒ぎが生じたわけだが、しかしどうしてこういったバカなことをやったのか。

 わたしは、政府が、国民の間に「原爆投下はしょうがない」という考え方を植え付けた

いと考えているからではないかと思っている。

 憲法論議が「改憲ムード」を醸し出させたように、核兵器論議も「しょうがないムード」

を生じさせ、もしかすると日本国民は、やがて原爆投下に代表される米軍の残虐行為

を受け容れるようになるかも知れない、と、そんな方向のことを安倍総理大臣あたりが

目論んでいるのではなかろうかということだ。

 日本は急速に「悪い方向」へ向かって転げ落ち始めている。

 非正規労働者が30パーセントを遙かに超えるという異常な雇傭問題もそう、少子化

問題に対する長い間の無策もそう、社保庁や厚労省のダメさかげんはいうに及ばず、

何もかもが悪い方向にしかすすんでいないのだ。

 現職閣僚の自殺という前代未聞の異様な事件さえをも呼び込んだこの安倍晋三内閣

って、いったい何なのだ?